「錯覚の科学」読了。一つだけ面白かったところ

クリストファー・チャブリス・著「錯覚の科学」を読みました。

ので、その感想と、ダイジェストをお届け。

 

 

脳科学・心理の観点から、驚くような(特に悪い方の)人間のクセ・傾向を書いてる本。

ジャンル的にはよくある部類だと思うけれど、もともと海外の本で、わざわざそれを訳しているだけあって、いい感じ。

読みやすいし、巻末には参考文献・論文の一覧があって根拠を追おうと思えば追えるようになっている。

 

ただ..私個人的にはあまりおすすめできる本には入らない。。

というのも刊行が2011年ということもあり、情報の鮮度に少し自信が持てない。

特にこの本のような「脳みそ」に関する議題は、「宇宙」と同じくわかってないことが非常に多いだけに、頻繁に説が変わってしまうカテゴリのひとつだ。

であれば、もう少し最近の本を読んだほうが、情報に信頼が置けるように感じてしまいます。。

 

ただ、人間の性質的にかかってしまいがちなバイアスの説明のいくつかは確かにうなずけるところもあり、そうした点を知っておくだけでも普段からの意識が変わると思われる。

その点についてがこの本の良かったポイントでもあるので、前置きが長くなってしまったが、紹介させていただく。

 

 

まとめると、

「私たちの脳は、①ものごとをパターンで捉え、②偶然のできごとに因果関係を読み取り、③話の流れの前後に原因と結果を見ようとする」ということだ。

 

以上のまとめを3つに区切ってもう少し説明する。

ひとつめのパターン認識は、環境や状況の判断、計算にかかる労力を削減するために、脳が推理・予測・感知するシステムだ。

問題なのは、実際そこに常にパターンがあるとは限らない点で、

にもかかわらず、パターンを読み取り、因果関係を推論してしまう。

壁のシミや無作為なはずの模様を見ていると、そこに動物やヒトの顔が浮かんで見えるようなの経験がある人は多いと思う。

因果関係の結論ありきで、パターンの方を自分に都合のいいように後から組み上げてしまうこともあるそうだ。

 

 

ふたつめは、「因果関係と相関関係は同じではない。」ということである。

 

例えば、50m走のタイムと靴のサイズに逆相関があるからと言って、普段より大きな靴を履けば50m走のタイムが縮むわけではない。

(ここでは【年齢】という要因で、【スピード】と【靴のサイズ】とのそれぞれの関係を説明できる。わかりやすく言えば、大人より子供のほうが走るのも早いし、大きな靴を履く。ということだ。)

 

これ自体は割と有名な考え方であると思うし、私も知っていた。

(私がはじめにこれを知ったのは、「ヤバい経済学」を読んだときだったと思う)

 

では、相関関係を元にどうやって因果関係があるかを調べるのか。曰く、実験によって”しか”あり得ないらしい。

しかも、その実験が本当に無作為な集合に対して行われているか、因果のやじるしの向きはどちらなのか、などなどの検証はこれまた難しい作業という。

 

3つ目はそのままであるが、

いくつかの事実が与えられると、聞いた側の人は、話の前後に因果関係のストーリーを勝手に解釈するときがある。ということ。

例えば、「昨日の夜はたくさんの酒を飲んだ。今日は気分が悪い。」と聞けば、

普通、「酒の飲みすぎで気分が悪くなったのだろう」と推論する。

だが少し考えるとこの推論は常に正しいとは限らないことが分かる。

 

この例は単純すぎるかもしれないが、このように語られていないはずのストーリーを推測してしまう場合は大いにありそうだ。

当然こうした推論を逆に全くしなれば、きっと人の話を聞くのはかなり疲れるだろうし、きっとお互いの話はかみ合わないだろう。

 

 

 

以上3点が、人間の知覚バイアス?とでもいうべき一つ例として挙げられると思う。

昨今の新型コロナウイルスへの対応などは、かなりこうしたバイアスを我が身ながら知ることのできるいい例になると思った。