エリック・バーカー「残酷すぎる成功法則」を読んだ

私の好きな橘玲氏が翻訳作業に携わっている本著を読んだので、

数点、特に面白かった点をピックアップ。

 

 

一つは”生きてる意味”についての話。

著者いわく、それは「ストーリー」が非常に重要だそうだ。

「ストーリー」によって、夫婦の離婚率は高い確度で判断できるし、子供の精神的幸福度も分かるらしい。(子供の場合、ストーリーの拠り所となる「家族史」を持っているかどうかが極めて重要らしい)

人は毎日2000ものストーリーをほとんど無意識に考えているともいう。

 

この話は、たぶんアルバイトとか労働に関しても当てはまると思われる。

いわゆる「やりがい」ってやつがそれに近い。

仕事を選ぶ・続ける上で、賃金などの労働条件や、人間関係の他にこの、仕事にやりがいを感じられるかどうか、というのは一般に非常に重要であると思われる。

例えば、いくつかのフードチェーン・レストランはとびきり美味しい食事を提供するだけが会社のモットーではないことを強く従業員にも教育している。つまり、お客様に最高の時間を提供することだったり、まごころを提供することだったり、といったサービスに重きをおいている。

もしかすると、それはお客様のためだけではなく、働いている従業員側にとっても、この「ストーリー」の考え方の通り、何かしらの意味付けがあるかもしれない。

 

「映画は世俗社会のための聖なるドラマ」はハワード・スーバーの言葉である。

映画もまた、「ストーリー」の模倣、共感、追体験に一役買っていることを示唆している。

冒頭に"生きてる意味"と言ったのも、著者いわく自分の人生に満足感を感じないのは、たとえどんなに楽しい時を過ごしても、自己のイメージにそれが合わないことが大きな要因らしいからである。

その究極的な形が"自殺"である。

ロイ・バウマイスターは「自殺を図った人間は、必ずしも最悪の状況にあったわけではなく、ただ自分に対する期待に及ばなかったのだ」という。

 

有名人や、世界的なアーティストが度々自殺をすると、「そこまで成功しておきながらどうして」と凡人として思ってしまうのだが、こうした観点からみると、彼らにとってその成功はもはや問題ではなく、自分の理想像との乖離を強く感じていることが自殺の一因となっているかもしれない。

この考察は、自分の身近に自殺を考えている人がいて、私はそれを阻止したい。というような場合にどのように行動すべきかのヒントを与えてくれる気がする。

とにかく、相手のベースの思考で、視野で、価値観で考えることというのが重要ではないだろうか。もちろんこれは理想論で、完璧に実行することは不可能に近いが、「普通に考えて~」とか、「~は当たり前でしょ」といった考えは、的外れの可能性が高そうであることを意識したい。

 

 

次の点は、似たようなことは他でもよく言われているが、改めて取り上げたい。

「最も成功する企業は、最初から卓越したアイデアにかけているわけではない。彼らは、それを発見する。自分たちがすべきことを発見するために、たくさんの小さな賭けをするのだ。」

と、ピーター・シムズは言った。

著者いわく、

やり遂げる目標がまだわからない場合、今興味のあることへ自分の時間の5~10%を学び、成長するためにあてるといいということだ。

そして、続けることになんの価値もない日々の行動は、捨てる。

これで、試すことと、諦めることの両方を戦略的に繰り返すことができる。

 

うーん、このやりかたはシンプルでいい。

よく言われているけど、「選択と集中」・大事なことは「何を捨てるか」を判断すること。

人間飽きがくるのはある程度仕様がないと割り切って、次の興味に挑戦することが大切なようだ。ただし、興味を持っている間は、全力でそこに労力を割くべきともよく聞く。気がする。

 

 

経済学者・ヘンリー・シュウいわく、「早い時期に頻繁に転職する人はキャリア最盛期に当賃金・高収入を得ている可能性が高い」ということだ。

これはさすがに、国や地域、学歴、職位などによるところが大きい気がするが、筆者はその要因として、天職に巡り合う可能性を引き上げることや、良き指導者と合う可能性を上げることを指摘している。

合わせて、「天才」は、そうでない人と比べて趣味が多いことも取り上げている。ユーチューブは出会い系サイトとして、グーグルは図書館の蔵書検索サービスからはじまったことを引用しておく。

 

 

3点目、"20秒"のルール。

これは、簡単に言うと、

やりたくないけど、やらなければいけない。でも先延ばししてしまう。

そういったときに使える方法で、まず20秒だけやってみる。

逆に、やるべきでないことをやってしまいそうなときは、20秒だけ待つ。

というルールだ。

前者は、脳科学でいうところの淡蒼球の性質をうまく使っているし、

後者は、行動経済学でいうところの「ナッジ」を使っているといえる。

淡蒼球のハナシは、これまた私の好きな池谷裕二氏の本から学んだ。いつか取り上げる。)

 

問題は実生活で導入する際の難易度をさらに低くしたい、ということだ。とりあえずは、スマホで20秒はかってみることから始めようと思う。

 

最後に、これは本に一言書いてあっただけだが、「カーン・アカデミー」というサイトは、無償で様々な基礎項目を学べる教育コンテンツとして触れられていて、私自身聞いたことがなかったので、ここに書き留めておく。いつかチェックするつもりだ。

 

木嶋佳苗について調べてみて、思ったこと

3件の殺人を含む、詐欺・詐欺など計10件の容疑で起訴・死刑判決の出た木嶋佳苗はなぜそれほどまでにモテたのかがふと気になったため、調べた感想を書く。

 

ここまでこの事件を有名にさせた"結婚詐欺師"としての木嶋佳苗のその容姿については、周知であると思うため、あえて割愛する。

ただ、特にその声、そして肌、仕草に関して非常に魅力的であるとの評価が多数あることは一応触れておく。

 

 

まずはじめに、死刑判決こそ出ているものの、この裁判には物的証拠がなく、状況証拠のみで進められた点、「死人に口なし」で、木嶋が語るエピソードがどこまで本当であるかわからない点など、いくつかの疑問は確かにある。そもそも木嶋は”詐欺師”なのだからなおさらだ。

しかしながら、1億円以上を、彼女が貢がせていたこことは確かに目を見張るものがあり、(被害者にならないように)学べるものがあると感じた。

 

まず思うところとして、大変恐縮ながら、木嶋に多額のお金を貢いだ男性は、高齢であったり、女性経験や、そもそも対人関係がうまくいってない印象を受ける人が多い。

殺された(とされる)ある男性は、かばんを持たず、紙袋で生活するほどの節約家だった。また、女性経験も少ないようであったが、そんな男性ですら、木嶋に470万円以上も援助している。

 

木嶋自信の書いた彼女の紹介文を見ると、献身的に尽くしてくれそうな、そんな印象を受ける。婚活サイトでは、積極的に介護や補助、尽くす姿勢を見せ、手作りの豪華な食事や性交渉ですら堂々と匂わせる。そして、資金の援助のことも。

彼女は高校時代、ボランテイアサークルで部長も務めており、若いうちから様々な男性と接する機会が多かったのかもしれない。そうした経験が、男性を手玉にとることができた要因の一つとして生きている?ちなみに彼女は高校時代から複数補導・逮捕歴などがあり、(しかも学生の時のおふざけのレベルとは少し離れている)そうした点も今の彼女を形作る要因として挙げられるかもしれない。

 

また、彼女が一般と変わった感覚を持っていると語られていた。例えば、面白かったのは、とある日、リサイクルショップで面接を受けて採用された彼女は、月20万の条件で雇われる。それを聞いた彼女は、月20万円であれば、週1回ほどの勤務だろうと勘違いして、勤務2日目に欠勤している。すごい..

この話には続きがあって、その話を聞いた社長は、それでもいいから来なさいとやはり月20万円を木嶋に支払い、(?)

「それだと生活費が足りない」と木嶋が言うと、更に30万円を毎月渡すようになる。(??)

最終的に、この男性は木嶋に1億円以上も渡しており、(*^^*)

彼は、木嶋の最大のパトロンになったと考えられている。

 

 

話は変わるが、恋愛に関して、齢30を過ぎた女性はうまいこと現実との折り合いをつけていくという。(理想だけでは生きられないということへの気付き?)

女性蔑視ではない。むしろ、木嶋佳苗の事件を調べていると、「理想の女性像」や現実とかけ離れたロマンを追い求めているのは男性側のような気がしてくる。(下品な話で申し訳ないが、木嶋とホテルに行った男性が「ゴムなしでいい」と言われて、より彼女に惹かれていったようなエピソードをみてそう思った。)

 

「デブでブスな女に騙されるなんて、男も普通ではないのだろう。」と思われる方も中にはいるかも知れないが、私には正直、彼女のような女性には騙されっこないと言い切れる自信がない。

現実と折り合いをつけるべきで、いつまでも妄想のようなことを考えていてはだめだ!と思う。

私と同じような気づきをしたのだろうか?婚活サイトで木嶋からメールをもらった男性は、木嶋にこう聞いている。「佳苗さんが探しているパートナーとはどんな人なのか、(略)なぜ私が選ばれたのか。私は特別にお金持ちでもないし、何が心に留まったのかを教えて下さい」と。

これに対して木嶋は、「人を気にいるとか、好印象を持つことに言葉にできる理由を見つけるほうが難しいのではないでしょうか」と答えている。

木嶋佳苗、おそるべし。。。

 

一応木嶋佳苗・著の「礼賛」も一通り目を通したが、

これ、、

書いてあることは多分ほとんどウソだと思われる。

裁判で語られなかった新情報とか、被害者の方への謝罪(まじで一言もない)、逆に無実を主張するようなことはほとんど書かれていない。

そのほとんどは、証明しようがない彼女自身の記憶の追体験である。どれだけいろいろな男性に愛されていたかとか、高級なホテルに泊まった、とか。

裁判で、彼女がネットオークションで、高級ブランドや高級ホテルの非売品グッズをいくつも購入していたことが明らかになっている。そしてそれをあたかも実際に貰ったものであるかのようにブログで公開している。そんな彼女の記憶を語っても、説得力は薄い。

 

ただ、一部だけ気になるところがあったので、抜粋して、締めさせていただく。

(ただし、これもおそらく木嶋オリジナルでなくどこかから引用したのだろう。)

 

「とてつもなく稼ぐ人たちと接して感じたことは、(略)成功を収めた人たちは、自分の中に体験や、知識、データを蓄積し、真剣に自分の仕事と向き合い考えている。彼らはチャレンジを繰り返し、失敗や挫折も経験し、山あり谷ありの人生から形造られた理想や哲学を持っている。」

 

 

https://w.atwiki.jp/matome3435/pages/43.html

https://w.atwiki.jp/matome3435/pages/151.html

 

【違い】民事裁判と刑事裁判

いまいちこの二種の違いがわかってないので、自分の覚え書き用としてまとめておく。

複数のサイトなどを参考に、知りたかった情報をまとめてみた。

 

 

 

 

【誰が行う?】

 

民事→

当事者間による紛争。

(警察や検察は、民事上の争いごとには原則として立ち入らない「民事不介入の原則」がある)

訴える側の「原告」と、訴えられる側の「被告」

 

申し入れ先は裁判所で、訴状を裁判所に提出することで、手続きが行われる。

 

 

刑事→

訴える側の「検察官」と、訴えられる側の「被告"人"」

 

刑事裁判を起こせるのは、(起訴(公判請求)するかどうかを決めるのは、)検察官のみ。

よって、警察に被害届を出したり、告訴状を出すなど申し入れをすれば、

刑事告訴

刑事裁判の手続きに向けて捜査を行ってくれる可能性はあるが、一般人に起訴の決定権はないということだ。

(起訴独占主義) 

 

 

【なんの目的で?】

民事→

私人間のトラブル解決が目的。

もっと言ってしまうと賠償請求の権利を得ること。

(差し押さえを行うための"手続き書"である「判決書」をもらうため。)

また、善悪を判断する場ではない。

その判決書をもらうために行うというのがほとんど。

(ほとんどと言ったのは、他に、裁判所に訴えることで時効の経過を中断させることができるため、その目的で行うこともあるようだ。)

判決書をもらうことで、差し押さえをしたり、被告の口座を抑えたり、車などの資産の売却といった強制執行ができるようになる。

ただし、民事訴訟の判決に効力が乏しく、強制執行の制度が十分に機能していない点が長らく問題になっているそうだ。

  

また、離婚は本来、双方の合意・離婚届けによって行われるが、仮に片方が離婚に応じないような場合に、裁判を起こし、その旨の判決が下れば、その判決書を役所に持参することで、離婚が受け入れてもらえる。ということも民事裁判でできるそうだ。

 

 

刑事→

国家が、国の治安や秩序の維持に反したの者に(懲役や死刑など)罰則を与える目的で行う。

罰則の適否について審議を行い、

判決が出れば被告人に刑罰を課すことができる。

 

刑事事件は、有罪の可能性が極めて高いものしか起訴しないため、その99%は有罪となると言われている。

これは、「推定無罪の原則」として知られていて、疑いを挟む余地がないと思える程度に立証がなされないと、有罪として認めないことが根本にある。

「疑わしきは罰せず」

 

 

【適用される法律の違い】

刑事→

刑法、覚せい剤取締法大麻取締法、銃刀法、罰則規定のある一部商法など。

手続きについては、刑事訴訟法に規定されている。

 

民事→

民法、商法などの私法

手続きについては、民事訴訟法に規定されている。

 

 

【犯罪と不法行為

法律上、人に損害を与える行為には、大きく2種類ある。

民事上の不法行為と、刑事上の犯罪である。

刑事上の犯罪は、民事上の不法行為となるのが普通であるが、

その逆、民事上の不法行為が常に刑事上の犯罪になるとは限らない。

 

民法上の不法行為..故意または過失の違法行為によって他人の権利・利益を侵害したものに対し、生じた損害を賠償させるための民法上の制度

ちなみに、

「違法行為」は、法律に抵触する行為、という認識で大丈夫そうだ。

 

刑事上の犯罪..社会生活上の利益を侵害する非常に有害な行為であって、中でも刑罰による制裁が必要なもの。刑罰が規定されている法律に違反する行為。

 

ちなみに度々話題になる「不倫」(不貞行為)は、その行為を罰する法律がないため、犯罪ではなく、刑罰には問われない。

 

犯罪として刑罰の対象となるのは、刑法などの細かい要件を満たしていて、有罪となる証拠がある場合のみである。民事で損害賠償請求が認められる場合でも、刑事上の罪が成立しないこともある。

 

先に言ったように、民事裁判にはある程度おカネで解決させる側面があるが、その一方で、刑事上の犯罪に対する刑罰にも「罰金」の項目がある。

その違いは、犯人が刑罰として国家に支払うものであり、当事者間のお金の問題(民事)とは無関係である。ということだ。そのお金は被害者には渡らない。

 

 

【和解】

刑事→

和解による解決は、司法取引をのぞいて、ない。

 

民事→

裁判しなくても、裁判途中であっても、和解による解決が起こりうる。

 

 

【自白】

刑事→

被告人の自白のみでは有罪にできない。

逆に強要されたことが明るみに出たような場合など、自白調書(被告人が間違いがないことを認めた書類)が嘘であることがわかった場合、自白調書の証拠機能のみがなくなる。そのため、直ちに無罪になるわけではない。

 

民事→

自白した内容は事実と認定され、証明を必要としない。

 

 

情状酌量

情状..検察官が公判請求を行うか(起訴するかどうか)判断する際や、裁判官が有罪判決をする際に、どの程度の量刑にするか判断する場合に考慮される事情のこと。

 

これは、刑法上の制度(刑法第66条)で、強制執行の権利を得るために行われる民事裁判では全く関係のない話のようだ。

  

 

【一緒に】

行為を罪に問う刑事事件だけでなく、行為によって損害が発生したような場合は、民事裁判を起こすことも可能となる。

(例・飲酒運転による人身事故。危険運転致死傷罪

 

 

ただし、刑事事件の被害者が刑事裁判手続きの中で民事上の請求を行うことは、原則としてできない。

なので、その場合別途必要に応じて民事事件として裁判を提訴する必要があるということだ。

しかしながら、例外として一定の刑事事件には例外として「損害賠償命令制度」があり、被害者の申立がある場合、有罪判決を裁判官が下した後、引き続き損害賠償請求の審理もはじめてもらうことができる。

ややこしい。。

原則4日以内の期日で被告人に損害賠償を命じてもらう事ができる。申立手数料は請求額を問わず一律2000円とのこと。お手軽。

 

ちなみにそうした刑事事件は、

・殺人・傷害(故意の犯罪行為の必要があり、自動車運転過失致死傷罪など交通事故事件は含まれない)

・強制わいせつ強制性交

・逮捕監禁

・誘拐・人身売買

以上の犯罪を含む犯罪、未遂罪

 

のことであるそうだ。

 

このように、刑事と民事両方で裁判となるのは、

交通事故の他、名誉毀損、強制わいせつ、窃盗・詐欺・横領のような事件で多い事例のようだ。

 

訴えられる側としては、刑事が進んでいる間に、被害者と示談交渉をするのが定石のようだ。

そうすることで、金額や支払い方法に関して譲歩が期待できるだけでなく、刑事事件においても不起訴処分の獲得や刑罰の減刑などが期待できる。

 

 

【挙証責任】

※民事裁判における原告の「挙証責任」について

 

民事裁判において、裁判をおこすことは国民の権利とされており、最低限の法的要件を満たしていれば、誰でも好きな相手を訴えることができ、訴えられた側は被告として法廷に呼び出され、抗弁する必要がある。被告によってこれは大きな負担であるため民事訴訟では原告の訴えを厳しく審理し、事実関係の厳密な証明を求める。(原告の「挙証責任」と呼ばれる。)この証明に対してのみ被告は反論すればよいのだ。

ただし、名誉毀損の場合はその限りでなく、真実のであることの証明は、被告側が行う必要がある点があるため、一般の民事訴訟と比べて原告⇔被告の攻守が逆転しているという点が興味深い。

 

 

 

 

 

↓参考↓

民事裁判と刑事裁判の違いをサルでもわかるように弁護士が解説します - YouTube

民事裁判と刑事裁判の違い 目的などが全く違う - YouTube

刑事事件なのに民事事件でも訴えられる? 刑事と民事の違いを徹底解説

刑事と民事の違い/刑事告訴・告発支援センター

情状(じょうじょう)とは | 刑事事件に強い東京の弁護士-川合晋太郎法律事務所

犯罪と不法行為の違い【被害者支援Q&A】 - 埼玉・浦和で人権と専門性を追求

橘玲「臆病者のための裁判入門」

【はじめて】ブログはじめました。

私、中学生の頃にtwitterをはじめてみたのですが、

どーもあの分量では書きたいことを書ききれないという感じがするんですよね..

(リプライでつなげることでできなくもないですが)

 

ただそれでも、TLに流れてくる他のひとの投稿を楽しんだり、自分でつぶやく頻度は多くなくとも、なんだかんだ面白いと感じているので、細々と続けていますが。

(ロム専ってやつですかね)

 

 

そんな中、ある日ふとtweetの分量で足りないのならブログでかけばいいのでは?!と思い、こうしてブログをはじめてみることしました。

 

自分の書きたい文量で何かを書き残したい。みたいな動機ですかね。

 

他にもブログを書くことで、「文章表現力」とか「まとめる力」なんかも磨かれるといいなー、と。

 

それから私はあまり記憶力がいい方ではないので、備忘録的な使い方ができればなー、とも。

というか一番の理由はこれだと思います。

あとで自分で見返すことを想定した構成になっていく気がします。

 

あと、変な話なのですが、私の趣味はうすーくひろーくという感じで、気が向いたときにやりたいことをやる。というような性分なのですよね。

ブログという形で残すことで、改めて自分がどういうことに興味を持っているか、その濃淡みたいなものも探れればな。と思ってます。

 

慣れてきたら、google analyticsとやらも使って、何かを分析できたら、今まで知らなかったことを知ったりできるようになるんじゃないかなとも。

 

それから最近なにかの本でアウトプットを勉強に取り入れることで、定着率は格段に上がると書いてあるのをみかけて。

ブログを書くって行為的にはインプットよりアウトプットに近いと感じていて、そういう機会も設けたいなと思い、そういう場にここを利用するかもしれません。

 

あと最後!の理由として、こうやって人様の目に触れるようなところに公開するのであれば、自分の書く文章に対する責任?みたいなものもより強く感じるのではないかと。

これまた私は大雑把に情報を収集しているところがあって、情報の精度?をもっと高めたいと思うのですよね。そういったスキルもより高めていけるように頑張りたいなと。

 

 

いまブログに対して頭に浮かんでいる認識ってこういう感じです。

改めて書き出してみると、すごいブログに希望を持って期待してるようですね(笑)

 

逆に、日々の出来事を書いたり、悩みを書いたりっていう使い方は今のところはあまーりしないのかな?て思ってます。

 

ぐだぐだ書いてしまいましたが、そういうわけで、多種多様な記事を書いていくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。